設立趣意

“協会が目指す先”

ここまでは、個人のビジネスへの物理的・技術的なサポートについて書いてきました。協会の目的は「分かち合いのビジネスの普及」です。協会は個へのサポートの専門性を高めていく必要がありますが、“木を見て森を見ず”になってしまっては、その目的は達成されないと考えています。

“一人の人間としての視点”(木を見る)

一人ひとりがいい仕事を創りだしていくことは、個人の生きがいを高めるだけでなく、社会をよりよい方向へと導いていく可能性を秘めています。また、仕事の多様性を維持していくことは、世の中の情勢に振り回されない生き方の選択肢を、後の世代にも残していくことになるでしょう。

“全体を見渡す視点”(森を見る)

市場(マーケット)は本来、人々が物や価値を交換するメカニズムで、バランスを保ちながら分かち合う(シェア)ためのものだったはずですが、行き過ぎて奪い合いになってしまいました。どうして分かち合いの場が、奪い合いの場になってしまったのか。協会設立にあたり、そこをみなさんと考えていきたいと思います。 通信や輸送の発達で、地域と深くつながらなくても、そこそこたのしく生きていける時代になりました。市場が地域にしかなければ、自然に地域の人とつながりますが、市場が地域から離れ、都会やインターネット上に大きく集約されてしまうと、価格順に並べ替えられ、仁義なき競争に陥ります。地域での評判が悪くたって、売れるものは売れます。価格を安く提供できる人と、宣伝がうまい人の一人勝ちになることが多く、それができない人は競うか、勝者の傘下に下らないと、大きな市場からは追い出されます。伝統や環境を守りつつ、あるいは地域の課題を解決しながら作られたものと、そうでないものが同じ土俵で対決します。質と価格だけで決めてしまっていいものでしょうか。それは平等ですが、公平ではありません。自分の仕事の価値を自分で貶めることにもつながらないでしょうか。 インターネットはいい仕事をしている人とつながる利点もありますが、人にアクセスしてもらうための競走は避けられません。

“地域と人の関係”(木を見る)

これから僕は協会の運営とともに、地域のことにも力を注ぎたいと思っています。 地域で価値を生み出し、分かち合いの場としての市場を地域に取り戻すことが、将来の不安を小さくすることにつながると思っているからです。これは僕の実感を元にした仮説ですが、地域での分かち合いで不安を小さくする心理的なメカニズムを、少し長くなりますが、説明させてください。

(1)分かち合いにはゆとりが必要

ゆとりがないと奪い合いになります。物を奪い合っている間は、心にゆとりは生まれません。ゆとりとは、手を抜くことではありません。自分を窮屈にしないことです。役割を担いつつも、自分の立ち位置からだけでなく、ときには自分の立場を離れて、他者の視点・ほかの角度からも物事を見られるようにしておく、ということです。物にゆとりがないと、心のゆとりは持てません。

(2)自立が先か、助け合いが先か

心のゆとりが持てるように、生きるために最低限必要な分くらいは自力で確保する力をつけたいものです。力がないと、分かち合いではなく、依存になってしまいます。では、自立することが先でしょうか。そういう気持ちも必要ですが、行き過ぎると辛い個人戦になってしまいます。助け合いながら共に自立していきましょう。そのプロセスが分かち合える関係を育んでいくのだと思います。

(3)いまが分かち合うとき

ビジネスを経験した人ならわかると思いますが、たとえ今月の事業成績がよかったとしても、このまま安定してやっていける保証などなく、いつまで経っても不安は尽きません。少しの余裕のある今が、分かち合いのときだと思います。金融資本を分かち合い、社会資本に変えていきましょう。分かち合えるときに分かちあってしまうのです。助けられるときに助けるのです。関係を維持したいと思う人ならば、必ず何かを返そうとしてくるでしょう。そういうところから、関係が生まれるのではないでしょうか。

(4)不安を分かち合う

ある人が、物がなくて困っているとき、あるいはある人がたくさん物を手にしたとき、分かち合ってもらえるとわかっていれば、心にゆとりが生まれるはずです。でも、なかなか分かち合いは進みません。なぜでしょうか。それは将来への不安からではないでしょうか。不安のために、蓄えようとしているのではないでしょうか。不安を完全になくすことはできません。ならば、将来への不安も分かちあうことはできないでしょうか。何かあったらお互い助け合おうと手を結ぶことです。

(5)地域の人と分かち合う

インターネットだけでそのような関係を築くことは、なかなかできないでしょう。また、どんなに深い関係でも、距離が離れていては、困ったときに物理的に助け合うことができないということは、震災から学んだことです。地域の人との分かち合いを進めてみましょう。今いる地域が好きでないなら、好きになれるように変えていくのもいいでしょうし、好きな地域に移り住むのもいいでしょう。誰とやるか、というのはとても重要です。

(6)助けてほしいと言える関係をつくる

僕はここ10年、人にいいことをたくさんやってきたという思い込みを持っています。もちろん、反省すべきこともたくさんやってきましたが、僕が困ったときに助けてほしいと頼み込めば、それに応えてくれる人は何人かはいるだろうと思い込んでいます。その思い込みこそが、僕を自由にし、将来の不安を小さくしています。

助けてほしい、はそう気軽に何度も使えるものではありません(笑)。だから普段は自立しようとしていくし、困ったときは堂々と頼めるくらいのいいことをしていくのです。

お金がなくても助け合うことはできます。お金は物やサービスを手に入れるための交換手段のひとつに過ぎません。お金がなくても必要なものが手に入ればいいのです。お金以外のことで落ち込んでいるときにお金をもらっても気分は上がりません。いくらお金があっても解決できないことがたくさんあるということも、僕は震災で学びました。(ある時期をやり過ごせば、お金が助けになることもありましたが。)

ということで、地域での分かち合いで不安を小さくするという仮説を書きました。 分かち合いというと、僕はなんだか貧乏くさいイメージがありました。しかし実際には、自分が買うものより、人からもらうもののほうが高級だったりします。田舎だと、マーケットに出回るもの以上に新鮮な高級食材がタダで手にはいることもあります。 衣食住は賄えても、お金がないと遊べない?ならば、地域に遊びを作りましょう。地域で遊びを提供することを仕事にすればいいのです。魅力的なイベントを地域の人と開催して築ける信頼関係もあるでしょう。 僕自身も地域で活動する視点をもちながら、その経験を協会の運営に生かしていきたいと思っています。

“世界と3-bizの関係”(森を見る)

国家という枠組みを前提にすると、地域だけで社会は成り立ちません。自分の地域が地域内だけで自立できたとしても、争いが起こらないわけではありません。自分の地域の取り組みを、世界に向けてタダで分かち合っていきましょう。世界から注目が集まり、地域がさらに潤うことにもなるかもしれません。 僕らがどんなに分かち合おうとしても、世界で競争は起こりつづけるでしょう。僕らに危害が及ばないのならば、競争したい人同士でやってもらうことは、むしろ喜ぶべきでしょう。僕は古い軽トラックを持っていますが、競争で技術を高めた結果の恩恵を受けています。(まあ必要ないと思う機能もありますが。)税金でいい道路を使うことができています。これから競争が生み出すものに助けられることもあるでしょう。しかし、人々が健康に生きていくために最低限必要な分野が競争に飲み込まれるのは、避けなければなりません。 世界の多くの人は、奪い合いになっている市場主義の扱いに悩み、翻弄されているのではないでしょうか。分かち合いの領域を市場主義の傍らに置いておく日本モデルとして、3-bizを世界から注目されるような存在にしていきたい、と言うのは大それているでしょうか。「分かち合いのビジネスの普及」が協会の目的ですが、普及というとなんだかぼやけてしまうので・・・

”激しい競争に入りたくない人が豊かに生きていくための領域として、分かち合いの分野を確保することが、当協会の目的であり、使命であるッ!!当協会が後の世にその存在意義を評価されるような野望を持って、3-bizを実践して、広めていこうぜェ!”

と、ここは激しくカッコよく(悪く?)キャプテン雄叫びをあげてみました。そのほうがたのしそうだから。3-bizをはじめる皆さんは、はじめのうちは自分のことで精一杯かもしれませんが、たまに視点を動かしながら、同じ方向を目指してたのしく取り組んでいきましょう。

“目に見えないものにも想いを寄せる”(視覚だけに頼らない)

当協会の目的は、分かち合いのビジネスの普及ですが、目的の先に願う社会像があります。それは、

”ゆとりと分かち合いの精神を持つ人が、横につながりたのしく逞しく生きる社会”

です。 ここまで木を見る、森を見るという視点の話をしましたが、視覚に頼らないこともときには必要です。僕自身、若い頃は自分の目で見て確かめていないことは信用しない、という時期がありました。しかし、目に見えないところや五感で感じられないところで起きている事実がたくさんあることも教わりました。例えば、微生物の働きがそうです。地球温暖化がそうです。放射性物質がそうです。いつも自分がいない地球の反対側で、不毛な争いにより失われる命があります。人が歩く度に、消えていく小さな命もあります。肉眼で見えないものはたくさんあるのです。そこに想いを寄せようとすると、たくさんの問題にぶつかります。僕は3-bizに出会った頃から、それらたくさんの問題は、3-bizが普及することで、少し軽くなると思えてならないのです。 目に見えないものにも思いを寄せるには、やはりゆとりが必要だと思います。ゆとりを生み出すことで、

・市場に入れない人への公平さ

・未来を担う人のこと

・自然や環境

・目に見えない生き物のこと

・地球の裏側のこと

・・・などにも“想いを寄せるゆとり”になっていくような気がするのです。

“協会の立場と当面の目標”

目的の先に分かち合いの社会を願うのが、当協会の立場です。繰り返しになりますが、分かち合いのビジネスの普及からブレないよう、目的以上の活動はしません。目的以上のことはひとまず願うだけです。 行く行くは、奪い合いになってしまった市場主義の傍らに置いておくものとして、3-bizが世界からも注目される日本モデルの一領域を担う存在になっていきたい。目安として、まずは10年後の2026年までに日本の人口の0.1%(12万人/各市町村に平均70人)の分かち合うビジネスパーソン(3-bizer)が誕生することを目指します。   次は最終ページ、 ”会員のみなさんにお願いしたいこと” です。